ちょぼくじょう
豊川(とよがわ)の河口付近の豊橋市下地町・北島町の川辺には,各所に材木を係留する貯木場が造られ,製材業が発達した。江戸時代や明治期,南北設楽(したら)・八名(やな)郡地域からの木材の搬出は,豊川を利用して盛んに行われていた。豊川の上流の寒狭川や三輪川では,川狩または管流(くだなが)しと称して,木材のまま流下させた。そして,両川の合流点である大海(おおみ)・長篠・乗本地先で筏(いかだ)に組んで,豊橋まで筏流しを行った。しかし,材木商のなかには,筏に組む手間を省いて下流まで管流しを行う業者もいた。管流しは,舟運による物資の輸送が次第に鉄道に切り替わっても,もっぱら川下しに頼っていた。明治以後も木材の川下しは盛んで,昭和10(1935)年の流送組合の解散まで続いていた。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊川(とよがわ)の河口付近の豊橋市下地町・北島町の川辺には,各所に材木を係留する貯木場が造られ,製材業が発達した。江戸時代や明治期,南北設楽(したら)・八名(やな)郡地域からの木材の搬出は,豊川を利用して盛んに行われていた。豊川の上流の寒狭川や三輪川では,川狩または管流(くだなが)しと称して,木材のまま流下させた。そして,両川の合流点である大海(おおみ)・長篠・乗本地先で筏(いかだ)に組んで,豊橋まで筏流しを行った。しかし,材木商のなかには,筏に組む手間を省いて下流まで管流しを行う業者もいた。管流しは,舟運による物資の輸送が次第に鉄道に切り替わっても,もっぱら川下しに頼っていた。明治以後も木材の川下しは盛んで,昭和10(1935)年の流送組合の解散まで続いていた。
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苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
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