とよはしいくじいん

 豊橋育児院は,明治28(1895)年,渥美郡花田村稗田に開設した東海育児院を端緒に始まる。明治33(1900)年12月,経営難のため東三河仏教会に委任し,16人の児童は称名院に移った。明治38(1905)年5月,青山衝天が経営に参加し,豊橋市が補助金を交付した。明治39(1906)年3月,豊橋育児院と改称し,翌40(07)年,青山衝天は院長に就任した。

 明治42(1909)年4月,本部を豊橋市東田町に移転し,育児院を豊橋市松葉西町に移した。明治43(1910)年4月,閉鎖された三河孤児院(幡豆郡西尾町)の児童を収容,翌44(11)年4月,廃止された甲斐孤児院(山梨県東山梨郡七里村塩山)の児童を収容した。明治43(1910)年6月,長野県下伊那郡飯田町(飯田市)に分院を設立した。

 大正10(1921)年,豊橋有鄰財団に改称し,活動の内容を育児部,不良少女感化部,労働者および内職者のための児童保護部,児童に対する相談部,妊産婦および極窮者保護の5事業に分類し経営を進めた。その後,豊橋育児院は,大正15(1926)年から中央有鄰学院と改称,知多郡大高町(名古屋市緑区大高町)へ移転を開始した。昭和8(1933)年,豊橋育児院は閉鎖された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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