とよはしもうあがっこう

 明治31(1898)年2月,宝飯(ほい)郡塩津村拾石(ひろいし)に拾石訓唖義塾(塾長成瀬文吾)が設立され,翌32(99)年4月,豊橋へ移転した。明治33(1900)年3月,豊橋訓盲院が豊橋に設立された。明治33(1900)年4月合併して,7月豊橋盲唖学校(校主鈴木講一郎)が豊橋町札木町(板新道)に設立された。明治34(1901)年12月,豊橋町中八町の校地・校舎に移転した。明治41(1908)年5月,豊橋市花田町稗田に校舎を新築・移転し,修業年限を6か年とした。大正9(1920)年11月,豊橋市旭町に移転,中等部を設置(設立者は司(つかさ)守職・高橋小十郎)した。大正13(1924)年4月,予科(2年)・初等部(6年)・中等部(5年)となった。

 昭和8(1933)年,校舎・寄宿舎を豊橋市鍵田町に新築・移転した。しかし,昭和15(1940)年6月,火災のため盲部校舎60坪が焼失,翌16(41)年11月,突風のため聾部校舎1棟(90坪)が倒壊した。経営が行き詰まり,近藤寿市郎豊橋市長の働きかけもあり,昭和20(1945)年4月,愛知県立に移管され,愛知県豊橋盲唖学校となった。昭和20(1945)年6月,空襲のため校舎・寄宿舎180坪が焼失したが,同年9月,焼け残った1棟で授業を再開した。昭和21(1946)年9月,豊橋市富本町の旧陸軍予備士官学校砲兵隊跡(豊橋中学校から割譲を受ける)に移転した。昭和23(1948)年,盲・聾児義務就学制が実施され,同23(48)年11月,盲聾分離が行われ,愛知県立豊橋盲学校・同豊橋聾学校となった。

 関連項目 - 豊橋盲学校(廃止) 豊橋聾学校(豊橋市草間町平東(たいらひがし))

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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