とよはしきゅうじょう

 豊橋球場は,旧歩兵18聯隊練兵場跡に造成中の豊橋公園内に,昭和23(1948)年8月,完成して開場した。戦災復興事業の施設第1号で,工事費は840万円であった。焼野原となった市街地には膨大な瓦礫(がれき)がまだ堆積していた。豊橋市では瓦礫処分地として旧吉田城の空壕と,野球場のスタンド盛土に搬入した。

 昭和25(1950)年10月,第5回国民体育大会愛知大会で,軟式野球競技は豊橋球場を主会場として開催した。開場時は,高校野球の試合が多かった。一般軟式野球や少年野球の広がり,ソフトボールの普及で,休日はほとんど大会が開催されている。また,1日中,早朝野球からナイターまで使用されている。昭和30(1955)年までは,プロ野球公式戦もしばしば行われた。敷地は2万7768㎡(内競技場1万2952㎡)で,両翼100m・中央116m,観覧席は内野3000・外野1万2000の計1万5000を収容できる。ナイター照明4基(昭和48年8月設置)がある。平成15(2003)年度の利用人員は,4万1400。周囲には,陸上競技場,テニスコート,市民プール,武道館,弓道場がある。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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