とよはしこうえん

 豊橋公園は,吉田(豊橋)城址を主体に成立している。城址は,明治18(1885)年から昭和20(1945)年の終戦まで,歩兵第18聯隊や新設部隊の営舎として使われており,城の東側にあった武家屋敷町は練兵場となった。軍都時代の残象は,豊橋公園入り口の営門と哨舎,国道1号沿いの西門だけである。

 昭和24(1949)年4月,吉田城址一帯の地(国有地21万6400㎡)は,総合公園として開放された。昭和29(1954)年,豊橋産業文化博覧会が開催され,それを契機に吉田城址に隅櫓(すみやぐら)(鉄櫓(くろがねやぐら))が再建され,動物園も開かれた。練兵場跡には,昭和23(1948)年から,豊橋球場,陸上競技場,テニスコート,市民プール,武道場などスポーツ施設が造られた。昭和36(1961)年には,豊橋市初の室内競技場として豊橋市体育館が建設された。収容人員5000の体育施設としてだけでなく,市民の大集会場として利用された。昭和40(1965)年7月,豊橋市民プールが開設されたが,施設の老朽化により,平成18(2006)年度からは,豊橋総合スポーツ公園(豊橋市神野新田町メノ割)内の屋内プールを使用することになった。

 昭和54(1979)年には,市制70周年を記念して美術博物館が開館され,また三の丸会館などの文化施設ができた。平成元(1989)年,神野新田町の豊橋総合スポーツ公園内に総合体育館が完成し,同4(92)年には,体育館は閉鎖され,同9(97)年に解体された。植生は高木タブノキ・エノキ・ムクノキ,低木ヤブツバキ・アオキ主体のタブ型森林を形成している。東方森林として八幡社跡,中央森林として神明社跡,西方森林として秋葉社跡がある。春まつりなど,各種イベントが行われている。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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