とよがわほうすいろ
豊川放水路は,豊川下流部の豊橋市・豊川市・宝飯郡小坂井町・同一宮町の流域1万haを洪水から守るため,豊川市行明町(豊川河口から11.6㎞地点)から豊川河口部の豊橋市前芝町まで,直線的に(延長6.6㎞・川幅120m~160m)開鑿した放水路であり,第2次世界大戦後における我が国三大放水路(広島県太田川,静岡県狩野川)の一つといわれている。
豊川放水路は,昭和13(1938)年に霞堤を連続堤にするため,放水路計画が16年間の継続事業として総事業費750万円で着手された。昭和18(1943)年度には本格的工事に着手したが,第2次世界大戦のために工事はほとんど進まなかった。第2次世界大戦後になって,昭和28(1953)年に総体計画が立案され,放水路工事は軌道に乗った。昭和32(1957)年度には,上流部の分流堰などの工事に着手し,さらに,同35(60)年度には治水特別会計の設定により5か年計画で完成させることとなった。
通水式が行われたのは昭和40(1965)年7月13日で,着工以来27年の歳月を要し,総事業費は47億8600万円であった。豊川放水路の完成により,豊川右岸の霞堤は締め切られ,左岸の霞堤も順次堤防整備が図られている。また,豊川本川下流部(吉田大橋より下流)の狭窄(きょうさく)部の改修工事も,本格的に進められるようになった。
参考文献 - 建設省中部地方建設局豊橋工事事務所「豊川放水路工事誌」
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊川放水路は,豊川下流部の豊橋市・豊川市・宝飯郡小坂井町・同一宮町の流域1万haを洪水から守るため,豊川市行明町(豊川河口から11.6㎞地点)から豊川河口部の豊橋市前芝町まで,直線的に(延長6.6㎞・川幅120m~160m)開鑿した放水路であり,第2次世界大戦後における我が国三大放水路(広島県太田川,静岡県狩野川)の一つといわれている。
豊川放水路は,昭和13(1938)年に霞堤を連続堤にするため,放水路計画が16年間の継続事業として総事業費750万円で着手された。昭和18(1943)年度には本格的工事に着手したが,第2次世界大戦のために工事はほとんど進まなかった。第2次世界大戦後になって,昭和28(1953)年に総体計画が立案され,放水路工事は軌道に乗った。昭和32(1957)年度には,上流部の分流堰などの工事に着手し,さらに,同35(60)年度には治水特別会計の設定により5か年計画で完成させることとなった。
通水式が行われたのは昭和40(1965)年7月13日で,着工以来27年の歳月を要し,総事業費は47億8600万円であった。豊川放水路の完成により,豊川右岸の霞堤は締め切られ,左岸の霞堤も順次堤防整備が図られている。また,豊川本川下流部(吉田大橋より下流)の狭窄(きょうさく)部の改修工事も,本格的に進められるようになった。
参考文献 - 建設省中部地方建設局豊橋工事事務所「豊川放水路工事誌」
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豊橋市議の長坂です。
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