ほうせんどう

 株式会社豊川堂の前身は,高須屋といい,天正年間(1573~92)から味噌製造業,呉服太物,質屋などの事業を代々営んできた。明治7(1874)年,10代高須又八郎(1831~1903)は,学制施行に伴い教科書の出版を手がけた。11代高須広治(1862~1903)は,高須屋を豊川堂と改めて,教科書類のほか,辞書・郷土史本・教材教具類の製造販売を行った。明治32(1899)年には豊橋最初の新聞である「参陽新報」の発刊にもたずさわった。昭和20(1945)年6月の空襲で被災したが再建し,昭和26(1951)年,株式会社に組織変更した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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