とよがわのてっきょう
豊川に明治21(1888)年,東海道線(単線)の鉄橋が架設され,同41(08)年,複線化(下り線架設)した。この間,豊川鉄道(飯田線下り線)の架設は,明治30(1897)年,資本金40万円を50万円に増資して,下地町起点を花田村(豊橋市花田町西宿)豊橋停車場接続に変更した。愛知電気鉄道(名古屋鉄道)の吉田(豊橋)乗り入れは,昭和2(1927)年である。合計4本の鉄橋が並んでいた。しかし,昭和19(1944)年12月7日の東南海地震によって橋脚にひびが入った。陸軍鉄道隊によって応急修理が施され,1週間後には運転が再開された。
昭和48(1973)年7月9日,豊川橋梁改良東海道線下り線切り替え,同48(73)年9月10日,上り線切り替えが行われ,下流側に東海道線下り線・上り線一体型鉄橋が新設された。翌昭和49(1974)年2月19日,旧東海道線下り線を改修して飯田線下り線として使用開始し,旧東海道線上り線鉄橋と旧飯田線下り線鉄橋を除却した。飯田線上り線は名古屋鉄道株式会社の所有で,架け替えされなかった。飯田線下地駅のプラットホームは,鉄橋寄り部分は幅4.8mであったものが16m(小坂井寄りは狭くなる)になった。
昭和39(1964)年10月1日,東海道新幹線が開業し,在来線より下流に鉄橋が新設された。
関連項目 - 東海道線
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊川に明治21(1888)年,東海道線(単線)の鉄橋が架設され,同41(08)年,複線化(下り線架設)した。この間,豊川鉄道(飯田線下り線)の架設は,明治30(1897)年,資本金40万円を50万円に増資して,下地町起点を花田村(豊橋市花田町西宿)豊橋停車場接続に変更した。愛知電気鉄道(名古屋鉄道)の吉田(豊橋)乗り入れは,昭和2(1927)年である。合計4本の鉄橋が並んでいた。しかし,昭和19(1944)年12月7日の東南海地震によって橋脚にひびが入った。陸軍鉄道隊によって応急修理が施され,1週間後には運転が再開された。
昭和48(1973)年7月9日,豊川橋梁改良東海道線下り線切り替え,同48(73)年9月10日,上り線切り替えが行われ,下流側に東海道線下り線・上り線一体型鉄橋が新設された。翌昭和49(1974)年2月19日,旧東海道線下り線を改修して飯田線下り線として使用開始し,旧東海道線上り線鉄橋と旧飯田線下り線鉄橋を除却した。飯田線上り線は名古屋鉄道株式会社の所有で,架け替えされなかった。飯田線下地駅のプラットホームは,鉄橋寄り部分は幅4.8mであったものが16m(小坂井寄りは狭くなる)になった。
昭和39(1964)年10月1日,東海道新幹線が開業し,在来線より下流に鉄橋が新設された。
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