とよがわのとせん
平安時代の承和2(835)年には,飽海河の渡船を従来の2隻から4隻に増加させる太政官符が出された。これを「飽海の渡し」という。西側は宝飯郡小坂井町平井辺り(柏木の浜)と考えられ,東側ははっきりせず豊橋市の飽海・関屋・城海津・坂津などが推定されている。10世紀の半ばには「志賀須賀の渡し」として歌枕にも詠まれた。
鎌倉時代には,古宿・当古(豊川市)の辺りを鎌倉街道が通り,13世紀後半になると「渡津の今道」が整備され,昔日の活況を取り戻した。これらのほかにも豊川の渡しは豊川の中流から下流にかけて,20か所以上あったが架橋によって姿を消していき,現在は「牛川の渡し」のみになってしまった。
市内の豊川渡し
①清須の渡し 高洲町~清須町 昭和5年廃止
②前芝の渡し 前芝町~前芝町 昭和5年廃止
③船町の渡し 船町~下地町 吉田大橋流失時
④牛川の渡し 牛川町~大村町 現在運行中
⑤行明の渡し 行明町~下条西町 昭和53年廃止
⑥暮川の渡し 下条西町~行明町 昭和53年廃止
⑦天王の渡し 下条西町~院之子 昭和53年廃止
⑧当古の渡し 当古町~石巻本町 昭和41年廃止
⑨三上の渡し 三上町~三上町 昭和55年廃止
⑩上三上の渡し 三上町~三上町 昭和55年廃止
⑪賀茂の渡し 賀茂町~向河原町 昭和41年廃止
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
平安時代の承和2(835)年には,飽海河の渡船を従来の2隻から4隻に増加させる太政官符が出された。これを「飽海の渡し」という。西側は宝飯郡小坂井町平井辺り(柏木の浜)と考えられ,東側ははっきりせず豊橋市の飽海・関屋・城海津・坂津などが推定されている。10世紀の半ばには「志賀須賀の渡し」として歌枕にも詠まれた。
鎌倉時代には,古宿・当古(豊川市)の辺りを鎌倉街道が通り,13世紀後半になると「渡津の今道」が整備され,昔日の活況を取り戻した。これらのほかにも豊川の渡しは豊川の中流から下流にかけて,20か所以上あったが架橋によって姿を消していき,現在は「牛川の渡し」のみになってしまった。
市内の豊川渡し
①清須の渡し 高洲町~清須町 昭和5年廃止
②前芝の渡し 前芝町~前芝町 昭和5年廃止
③船町の渡し 船町~下地町 吉田大橋流失時
④牛川の渡し 牛川町~大村町 現在運行中
⑤行明の渡し 行明町~下条西町 昭和53年廃止
⑥暮川の渡し 下条西町~行明町 昭和53年廃止
⑦天王の渡し 下条西町~院之子 昭和53年廃止
⑧当古の渡し 当古町~石巻本町 昭和41年廃止
⑨三上の渡し 三上町~三上町 昭和55年廃止
⑩上三上の渡し 三上町~三上町 昭和55年廃止
⑪賀茂の渡し 賀茂町~向河原町 昭和41年廃止
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豊橋市議の長坂です。
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