かんのんじ(うめやぶ)

 高松山観音寺(曹洞宗)は,もと了源寺といい,天台寺院であったという。本尊聖観音菩薩像は,天平5(733)年小松原東観音寺の地を観相していた行基菩薩が,余暇に7体刻んで海に投じたうちの1体が漂着したもので,嘉慶3(1389)年まで存在していたという。了源寺の焼失以来行方不明となっていた。その後,開拓中に梅の木に懸かっているのを発見されたと伝えられている。弘治2(1556)年,伊奈(宝飯郡小坂井町)東漸寺第2世大中一介和尚(?~1532)を開山に請うて曹洞宗に改宗再興されたという。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,梅薮村「禅宗高松山観音寺,伊奈東漸寺末寺,平僧,客殿五間・三間」とある。嘉永7(1854)年大地震のため堂宇倒壊の寺伝があり,現存の伽藍(がらん)はすべてそれ以後のものと考えられる。昭和初年法地に転格した。平成8(1996)年本堂改修・庫裏(くり)改築を行った。

 関連項目 - 観音寺の観音様(民話)

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