さいふくじ(いわた)
田流山西福寺(曹洞宗)は,天文9(1540)年の創立で,開山は竜拈寺(りゅうねんじ)第4世休屋宗官和尚と伝えられる。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,下岩崎村「禅宗,田流山西福寺,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿六間・四間,右寺内鎮守白山権現,社壱尺四方」とあるが,「吉田竜拈寺末寺」の誤りである。白山権現も荒神も現在はない。
薬師堂は,鞍掛神社南方山麓の岩崎村葦毛にあったものを下岩崎村に移し,後に堂宇(どうう)を取り壊し,厨子(ずし)入り薬師如来立像だけを本堂に移座した。本尊は観世音菩薩坐像である。本堂は明治15(1882)年の再建で,山門は文化10(1813)年に建てられたものである。慶応年中の奥村月鑑師は寺子屋を開き,明治6(1873)年まで続いた。月鑑師の墓は筆子中(ふでこちゅう)が建てたものである。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
田流山西福寺(曹洞宗)は,天文9(1540)年の創立で,開山は竜拈寺(りゅうねんじ)第4世休屋宗官和尚と伝えられる。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,下岩崎村「禅宗,田流山西福寺,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿六間・四間,右寺内鎮守白山権現,社壱尺四方」とあるが,「吉田竜拈寺末寺」の誤りである。白山権現も荒神も現在はない。
薬師堂は,鞍掛神社南方山麓の岩崎村葦毛にあったものを下岩崎村に移し,後に堂宇(どうう)を取り壊し,厨子(ずし)入り薬師如来立像だけを本堂に移座した。本尊は観世音菩薩坐像である。本堂は明治15(1882)年の再建で,山門は文化10(1813)年に建てられたものである。慶応年中の奥村月鑑師は寺子屋を開き,明治6(1873)年まで続いた。月鑑師の墓は筆子中(ふでこちゅう)が建てたものである。
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