にしがわじょう
西川城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。数ある西郷氏の城砦群の中にあって西川城は最も西,五本松城方面から連なる丘陵先端部に位置している。「三河国二葉松」(元文5年)に,「西郷西川村古城,天文年中西郷孫三郎種員,永禄年中同左衛門佐吉員,或云弾正,天正年中同弾正忠家員,始名孫九郎,同久太夫政員,同新太郎某,天正十八年得替」とある。
城址(じょうし)は,大福寺(豊橋市石巻西川町)の北にあり,近年ではカタクリの花群生地として知られている。遺構として曲輪(くるわ),堀,土塁が確認できる。土塁の一部は櫓台(やぐらだい)状に広がっている。豊川(とよかわ)方面の牧野氏を意識しての築城とも考えられている。規模は100m×100m程度,時期としては天文年間(1532~55)~天正18(1590)年とされている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
西川城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。数ある西郷氏の城砦群の中にあって西川城は最も西,五本松城方面から連なる丘陵先端部に位置している。「三河国二葉松」(元文5年)に,「西郷西川村古城,天文年中西郷孫三郎種員,永禄年中同左衛門佐吉員,或云弾正,天正年中同弾正忠家員,始名孫九郎,同久太夫政員,同新太郎某,天正十八年得替」とある。
城址(じょうし)は,大福寺(豊橋市石巻西川町)の北にあり,近年ではカタクリの花群生地として知られている。遺構として曲輪(くるわ),堀,土塁が確認できる。土塁の一部は櫓台(やぐらだい)状に広がっている。豊川(とよかわ)方面の牧野氏を意識しての築城とも考えられている。規模は100m×100m程度,時期としては天文年間(1532~55)~天正18(1590)年とされている。
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