にしおか・てんしん(?~1817)

 西岡天津は,天津新田(豊橋市杉山町)に生まれた。通称を善助,名を淵,字(あざな)を於菟といった。学才を見込まれて,吉田(豊橋)藩山方同心西岡谷八の養子となり,郷同心を勤め,そのかたわら藩校時習館教授飯野柏山に従って学問に励んだ。天明8(1788)年師飯野柏山の推挙で藩校時習館教授となり,文化元(1804)年儒者に取り立てられた。文化14(1817)年3月6日,没した。著書に「論語徴訓約覧」(文化元年刊),「大学解約覧」(文化14年刊)がある。

 西岡天津の第2子・介蔵は,名宜,字秀廸,号を翆園(1813頃~67)といい,大田錦城・晴軒に師事して藩校時習館学頭に就任した。藩校時習館に「梅花文庫」を設置したという。

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