にしやまいせき

 西山遺跡は,梅田川の支流である西ノ川によって形成された沖積地を望む標高30mの段丘上に所在した集落遺跡である。愛知県企業庁による土地造成事業に伴い,昭和58(1983)から同60(85)年に豊橋市遺跡調査会が発掘調査を行った。調査では45棟の竪穴住居址(たてあなじゅうきょし)および土壙(どこう)が確認された。

 竪穴住居址は出土した土器から時期が判別したものは24棟あり,弥生時代中期の瓜郷式(うりごうしき)期から後期の欠山式(かけやましき)期のもので構成され,主体は欠山式期であった。竪穴住居址は平面形が隅丸方形,隅丸長方形,方形と各種あり,この違いは時期差を示すとされている。出土遺物には各種弥生土器があるほか,弥生時代後期である寄道式期の住居址から剣身形青銅製品が出土しており,類例がほかに認められないものとして貴重である。本遺跡は,この地域の弥生時代後期の拠点集落に位置づけることができる。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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