にしななねむら
七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。しかし,元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年,旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。渥美郡七根村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に686石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,西七根村戸田三郎兵衛知行448石余とある。明治5(1872)年の西七根村の家数は83,人数は427であった。七根村の産土神(うぶすながみ)は御厨神社であったが,東西2村に分村した時,社名は御厨神社のままで,社宮神を祀った。寺院に臨済宗聴松寺・竜泉庵(明治初年廃寺)がある。明治11(1878)年,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村が合併して五並(いなみ)村となった。しかし,明治17(1884)年,東七根村・西七根村は七根村となった。昭和30(1955)年に,大字七根は豊橋市東七根町・西七根町となった。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。しかし,元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年,旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。渥美郡七根村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に686石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,西七根村戸田三郎兵衛知行448石余とある。明治5(1872)年の西七根村の家数は83,人数は427であった。七根村の産土神(うぶすながみ)は御厨神社であったが,東西2村に分村した時,社名は御厨神社のままで,社宮神を祀った。寺院に臨済宗聴松寺・竜泉庵(明治初年廃寺)がある。明治11(1878)年,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村が合併して五並(いなみ)村となった。しかし,明治17(1884)年,東七根村・西七根村は七根村となった。昭和30(1955)年に,大字七根は豊橋市東七根町・西七根町となった。
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