ふくせんかさあげ
明治21(1888)年9月1日,大府~浜松間が開業した東海道線(新橋~神戸間全通は明治22年7月1日)は,単線であった。明治36(1903)年7月6日,鷲津~豊橋間,同41(08)年6月6日,豊橋~御津間が複線化された。全線複線化したのは,大正2(1913)年8月1日であった。明治21(1888)年に,建設されたのは現在の上り線で,複線化に際しては下り線が増設された。複線化工事に際して,鳴海・知立・岡崎・御油などの旧宿場町は,海岸寄りの蒲郡経由ではなく,旧東海道に沿った経路に変更して欲しいという請願をした。結局,複線化は現在線に張付線増された(旧東海道に沿った長沢~本宿間の急勾配(こうばい)は蒸気機関車にとって運転が困難であった)。
複線化工事と同時に,豊川(とよがわ)橋梁~江川橋梁の間は嵩上げ(築堤)された。梅雨・台風などの水害をたびたび受けたので,豊川鉄道も曲線改良工事と同時に行った。この高架化(築堤)は水害対策であるが,昭和期に入ってからの建設である二俣線などは,単線で運転本数が少ないにもかかわらず,ほとんどすべての道路と立体交差している。昭和期以降は,鉄道建設規定に,道路との平面交差を避けることが定められた。豊橋でも主要道路は跨線橋ができているが,豊田踏切は平面交差のため,開かずの踏切といわれている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
明治21(1888)年9月1日,大府~浜松間が開業した東海道線(新橋~神戸間全通は明治22年7月1日)は,単線であった。明治36(1903)年7月6日,鷲津~豊橋間,同41(08)年6月6日,豊橋~御津間が複線化された。全線複線化したのは,大正2(1913)年8月1日であった。明治21(1888)年に,建設されたのは現在の上り線で,複線化に際しては下り線が増設された。複線化工事に際して,鳴海・知立・岡崎・御油などの旧宿場町は,海岸寄りの蒲郡経由ではなく,旧東海道に沿った経路に変更して欲しいという請願をした。結局,複線化は現在線に張付線増された(旧東海道に沿った長沢~本宿間の急勾配(こうばい)は蒸気機関車にとって運転が困難であった)。
複線化工事と同時に,豊川(とよがわ)橋梁~江川橋梁の間は嵩上げ(築堤)された。梅雨・台風などの水害をたびたび受けたので,豊川鉄道も曲線改良工事と同時に行った。この高架化(築堤)は水害対策であるが,昭和期に入ってからの建設である二俣線などは,単線で運転本数が少ないにもかかわらず,ほとんどすべての道路と立体交差している。昭和期以降は,鉄道建設規定に,道路との平面交差を避けることが定められた。豊橋でも主要道路は跨線橋ができているが,豊田踏切は平面交差のため,開かずの踏切といわれている。
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