あいかわ・きよなり(1872~1948)

 藍川清成は,明治5(1872)年4月15日,岐阜県厚見郡小熊村(岐阜市)の弁護士藍川清通の長男として生まれた。東京帝国大学卒業後,名古屋で弁護士を開業し,名古屋電燈・伊藤銀行の顧問弁護士となり,名古屋弁護士会会長にも推された。愛知電気鉄道の発起人,監査役,取締役となり,大正6(1917)年,愛知電気鉄道の社長に就任した。

 大正13(1924)年12月15日,愛知電気鉄道取締役社長藍川清成と豊川鉄道専務取締役倉田藤四郎との間で,相互の貨・客の便益をはかるために線路の連絡ならびに列車の直通運転,旅客・貨物の連絡運輸などに関して契約が結ばれた。その結果,愛知電気鉄道は,大正15(1926)年4月1日,小坂井経由で豊川駅へ,昭和2(1927)年6月1日,吉田(豊橋)駅へ乗り入れることになった。

 藍川清成は,昭和10(1935)年,愛知電気鉄道と名岐鉄道の合併後,名古屋鉄道社長(昭和10~20年)となり,同13(38)年,渥美電鉄・豊橋電気軌道,豊川鉄道,田口鉄道,翌14(39)年,鳳来寺鉄道,同18(43)年,豊橋乗合自動車などの社長を兼ねた。昭和23(1948)年9月7日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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