くさまむら

 「和名類聚鈔」の渥美郡6郷中の磯部(以曾倍)は太平洋岸の伊古部とする説もあるが,現在の磯辺地区とされる。江戸期には草間村であったが,やがて,向草間村・松井新田・上ノ原新田が分立した。草間村内には,王ヶ崎・駒形・一色・大山などの枝郷があった。渥美郡草間村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に556石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分1018石余,大応寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数238,人数1040である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,草間村「春日大明神,春日若宮,牛頭天王,本宮大明神,六社大明神,若宮大明神,汐鎌社,八幡宮,松嶽山大応寺,天白山長福寺,無量山阿弥陀寺」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に「草間村古城,芳賀入道禅可カ末孫芳賀七郎住之後,畔田監物住」「黒印二石,禅宗曹洞派,本寺吉田竜拈寺,松岳山大応院」とある。「草間村差出帳」(明治5年)に「本宮社祢宜大平(駒形),若宮八幡社祢宜孫三郎(一色),春日社祢宜安平(草間),素盞嗚社祢宜想吉(王ヶ崎),塩釜社祢宜作蔵(大山),禅宗松岳山大応寺,天獏山長栄寺,無量寿山阿弥陀寺」とある。明治11(1878)年,上牟呂村・中牟呂村・下牟呂村・松島新田・富田新田・上ノ原新田・草間村・向草間村・松井新田が合併して磯辺村となった。しかし,明治17(1884)年,草間村・向草間村・松井新田は磯辺村となった。明治24(1891)年,神野新田のうち101町余を編入した。昭和7(1932)年,大字磯辺は,豊橋市草間町・中野町・一色町・駒形町・大山町・磯辺下地町・向草間町・松井町・王ヶ崎町となった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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