げいじゅつげきだん

 豊橋芸術劇団は,昭和22(1947)年12月に豊橋青年演劇クラブとして発足した。豊橋青年劇場を経て,昭和24(1949)年,豊橋芸術劇団となった。42回の公演を記録して,昭和40(1965)年10月の公演を最後に幕を閉じた。

 結成当初は,土屋隆夫作「いのちある限り」,有島武郎作「ども又の死」などの公演を行った。指導者に園義雄(1901~72)を迎えて豊橋芸術劇団となった第1回の旗揚げ公演は,島崎藤村作「破戒」であった。続いて農村における社会主義の芽生えを描いた「雷新田」,工場労働者を主題にした「人間製本」,心理描写主体のアメリカ演劇「地平線の彼方」などを成功させた。

 昭和27(1952)年には豊橋市前畑町に,旧豊川海軍工廠(こうしょう)の寄宿舎を移築して稽古場を建設した。中国作品の「龍髪溝(ろんしゅいこう)」「方珍味」,労働者を主題にした「ハーモニカ工場」「扇風機」,第2次世界大戦後の沖縄を描いた「沖縄島」を上演した。深沢七郎作「楢山節考」では東北地方公演も行っている。

 昭和35(1960)年以降は劇団の活動も下火になり同40(65)年,イプセン作「亡霊」の公演を最後に豊橋芸術劇団はその幕を閉じた。「豊橋芸術劇団史」(昭和60年)は,劇団に関わった人たち8人が刊行委員会を作り資料の収集をして,刊行委員の青山和夫がまとめたものである。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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