しばいごや

 江戸時代,地方都市においては芝居小屋は正式認可が得られず,「馬繋ぎ場」の名目で許可されていたようである。吉田(豊橋)で興行された芝居の番付の内容から,文政5(1822)年には常芝居小屋があったと推定される。天保5(1834)年,吉田手間町(豊橋市大手町)西光寺裏に常芝居小屋が新築・公認されたようである。

 吉田常芝居(吉田手間町西光寺西隣)は,明治初期に豊橋常芝居として芝居の興行をしていたが,その後朝倉座に引き継がれた。明治14(1881)年に朝倉座が西八町に新築移転した際,手間町にあった芝居小屋は宝栄座として存続した。翌明治15(1882)年に,朝倉座・宝栄座は合併興行をしているが,翌16(83)年に宝栄座は廃業となった。

 多くの名優が来演して活況を呈し,豊橋の芝居小屋の中心的存在であった朝倉座も,明治30年代に入ると行き詰まりをみせはじめ,明治33(1900)年朝倉座は廃業した。このほか,弥生座・豊橋座・朝日座・河原座・寿座・東栄座・東雲(しののめ)座なども明治時代末期から大正時代にかけて廃業したり,映画館に転業したりした。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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