ふなまち
船町は,吉田(豊橋)24町の一つで,天正18(1590)年,池田照正(輝政)の吉田入城後,はじめて町名を命じ,浅井与次右衛門を庄屋役に任命したことに始まる。慶長5(1600)年,関ヶ原の役に東軍のために伊勢渡航の軍役に服したので,船役に対して,表間口より奥行20間に限り,毎戸の地子銭(じしせん)を免除した。また,船舶の建造費を援護するため,山方より産出するこの湊から輸出する物資19品目に,上前銭と称する運上徴収の権利を与えた。「船町指出シ之覚」(寛延3年)に,「一江戸廻船壱艘,一船拾三艘伊勢尾張江通,一小瀬取四艘川内通用船」とある。船町~下地間の東海道吉田の大橋は,六郷・矢矧(やはぎ)・瀬田とともに,幕府直轄の東海道の4大橋とされた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田船町「橋本山竜運寺,天台宗白雲山神宮寺」とある。
関連項目 - 吉田24町
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
船町は,吉田(豊橋)24町の一つで,天正18(1590)年,池田照正(輝政)の吉田入城後,はじめて町名を命じ,浅井与次右衛門を庄屋役に任命したことに始まる。慶長5(1600)年,関ヶ原の役に東軍のために伊勢渡航の軍役に服したので,船役に対して,表間口より奥行20間に限り,毎戸の地子銭(じしせん)を免除した。また,船舶の建造費を援護するため,山方より産出するこの湊から輸出する物資19品目に,上前銭と称する運上徴収の権利を与えた。「船町指出シ之覚」(寛延3年)に,「一江戸廻船壱艘,一船拾三艘伊勢尾張江通,一小瀬取四艘川内通用船」とある。船町~下地間の東海道吉田の大橋は,六郷・矢矧(やはぎ)・瀬田とともに,幕府直轄の東海道の4大橋とされた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田船町「橋本山竜運寺,天台宗白雲山神宮寺」とある。
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