ふない・けんいち(1900~85)
船井健一は,明治33(1900)年8月25日,渥美郡大崎村(豊橋市船渡町)の船井七蔵の5男に生まれた。大崎尋常小学校を卒業し,海苔の養殖とアサリの採取を業とした。昭和16(1941)年から,大崎漁業協同組合理事長,同28(53)年から同30(55)年の間,大崎漁業協同組合長を務めた。この間,昭和22(1947)年に,豊橋市会議員を1期務めた。
大崎漁業協同組合は,昭和13(1938)年,海軍航空隊設置のため,漁場の半ばを失った。昭和23(1948)年,航空隊跡の払い下げを受け,漁場を拡張した。しかし,昭和33(1958)年,東都製鋼誘致,同36(61)年から,豊橋港造成が始まり,最終的には,同46(71)年,漁業補償を受けて,大崎漁業協同組合は解散した。昭和47(1972)年,豊橋市大崎町に「大崎漁業協同組合解散記念之碑」が建立された。昭和49(1974)年「大崎漁業協同組合史」が刊行された。昭和60(1985)年10月12日,没した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
船井健一は,明治33(1900)年8月25日,渥美郡大崎村(豊橋市船渡町)の船井七蔵の5男に生まれた。大崎尋常小学校を卒業し,海苔の養殖とアサリの採取を業とした。昭和16(1941)年から,大崎漁業協同組合理事長,同28(53)年から同30(55)年の間,大崎漁業協同組合長を務めた。この間,昭和22(1947)年に,豊橋市会議員を1期務めた。
大崎漁業協同組合は,昭和13(1938)年,海軍航空隊設置のため,漁場の半ばを失った。昭和23(1948)年,航空隊跡の払い下げを受け,漁場を拡張した。しかし,昭和33(1958)年,東都製鋼誘致,同36(61)年から,豊橋港造成が始まり,最終的には,同46(71)年,漁業補償を受けて,大崎漁業協同組合は解散した。昭和47(1972)年,豊橋市大崎町に「大崎漁業協同組合解散記念之碑」が建立された。昭和49(1974)年「大崎漁業協同組合史」が刊行された。昭和60(1985)年10月12日,没した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!