こうとくじ
今橋山興徳寺(曹洞宗)は,吉田神社の社人石田次郎兵衛を開基とし,永正から大永(1504~28)初年までの間に創立されたとされている。開山祖庵英彭和尚は,その師の盛禅洞しゃく和尚を始祖と仰ぎ,延命地蔵菩薩を本尊として祀っていた。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田方「禅宗,今橋山興徳寺,右竜拈寺隠居所,鑑司,客殿六間半ニ四間半,御朱印寺領弐拾石目,塔中賢養院」とある。朱印頂戴は戦国時代今川家からの寄進領があったのを引き継いだものとされる。享禄元(1528)年牧野成信が竜拈寺(りゅうねんじ)を建立すると同時に当寺をその隠居地として住職を置かず,以来尼僧が住していた。
「三河国二葉松」(元文5年)に「吉田,寺領二十石,禅宗曹洞派,右竜拈寺兼帯故無住,今橋山興徳寺」とある。竜拈寺に主力を移したことがわかる。昭和20(1945)年6月の空襲により全焼し,翌21(46)年不動産全部とともに竜拈寺に吸収合併された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
今橋山興徳寺(曹洞宗)は,吉田神社の社人石田次郎兵衛を開基とし,永正から大永(1504~28)初年までの間に創立されたとされている。開山祖庵英彭和尚は,その師の盛禅洞しゃく和尚を始祖と仰ぎ,延命地蔵菩薩を本尊として祀っていた。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田方「禅宗,今橋山興徳寺,右竜拈寺隠居所,鑑司,客殿六間半ニ四間半,御朱印寺領弐拾石目,塔中賢養院」とある。朱印頂戴は戦国時代今川家からの寄進領があったのを引き継いだものとされる。享禄元(1528)年牧野成信が竜拈寺(りゅうねんじ)を建立すると同時に当寺をその隠居地として住職を置かず,以来尼僧が住していた。
「三河国二葉松」(元文5年)に「吉田,寺領二十石,禅宗曹洞派,右竜拈寺兼帯故無住,今橋山興徳寺」とある。竜拈寺に主力を移したことがわかる。昭和20(1945)年6月の空襲により全焼し,翌21(46)年不動産全部とともに竜拈寺に吸収合併された。
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