ちょうしょうじ

 海応山聴松寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,天正8(1580)年であり,開山は東観音寺中興玉岫(ぎょくしゅう)和尚である。本尊は馬頭観音坐像である。東観音寺16世収崖和尚筆「当寺沿革」によると,玉岫和尚の退休の地として当初,寺沢村西ノ谷付近に草庵を設けたが,後年,西七根村南浜辺の海岸部に移転した。津波被害によって寺域が欠損したので,宝永元(1704)年祖栄和尚の代に,地頭戸田三郎兵衛の元屋敷跡(豊橋市西七根町中浜辺)に移転した。

 享保13(1728)年の聴松寺書上(東観音寺蔵)には「客殿四間・五間,当住祖栄代」とある。さらに明治36(1903)年,明治維新と神道改宗で廃寺となって「七根学校」に転用されていた旧竜泉庵跡地(豊橋市西七根町北浜辺)に移転して,その本堂を再利用した。昭和初期より終戦まで,農繁期託児所を開設していた。昭和61(1986)年,本堂・位牌(いはい)堂を改築した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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