はだはちまんぐうぶんこ
羽田八幡宮文庫は,嘉永元(1848)年15人の発起によって創設された。羽田野敬雄の「蔵書の多さを誇るのでなく,困窮にて書籍購入のできない人たちへ公開」を方針とした公共図書館の先駆けであった。文庫は,2間と3間(20㎡)の土蔵造りの書庫と松陰学舎と呼ばれた閲覧所からなり,貸し出しは蓋付きの箱が用意され,2部10冊まで期間1か月で貸し出された。明治9(1876)年の目録によれば,蔵書は2515部1万0357巻と記されている。
明治15(1882)年,羽田野敬雄の死により羽田八幡宮文庫は支持者を失い,西洋文化の吸収による国家近代化の波動も影響して衰退,同40(1907)年ごろに閉鎖した。蔵書は明治40(1907)年名古屋の川瀬代助,その後を受けた三浦兼助に売却されたが,大木聟治(おおきむこじ)により9200余冊が豊橋へ買い戻された。明治44(1911)年,蔵書の約1万冊が豊橋市立図書館,約1000冊が西尾市岩瀬文庫に分割収蔵された。現在,跡地には,「誦習舎迹」「松陰学舎蹟」の石碑が建っている。
関連項目 - 「羽田八幡宮蔵」(国登録文化財) 「羽田八幡宮門」(国登録文化財)
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
羽田八幡宮文庫は,嘉永元(1848)年15人の発起によって創設された。羽田野敬雄の「蔵書の多さを誇るのでなく,困窮にて書籍購入のできない人たちへ公開」を方針とした公共図書館の先駆けであった。文庫は,2間と3間(20㎡)の土蔵造りの書庫と松陰学舎と呼ばれた閲覧所からなり,貸し出しは蓋付きの箱が用意され,2部10冊まで期間1か月で貸し出された。明治9(1876)年の目録によれば,蔵書は2515部1万0357巻と記されている。
明治15(1882)年,羽田野敬雄の死により羽田八幡宮文庫は支持者を失い,西洋文化の吸収による国家近代化の波動も影響して衰退,同40(1907)年ごろに閉鎖した。蔵書は明治40(1907)年名古屋の川瀬代助,その後を受けた三浦兼助に売却されたが,大木聟治(おおきむこじ)により9200余冊が豊橋へ買い戻された。明治44(1911)年,蔵書の約1万冊が豊橋市立図書館,約1000冊が西尾市岩瀬文庫に分割収蔵された。現在,跡地には,「誦習舎迹」「松陰学舎蹟」の石碑が建っている。
関連項目 - 「羽田八幡宮蔵」(国登録文化財) 「羽田八幡宮門」(国登録文化財)
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