ほそやせいし
細谷製糸は,朝倉仁右衛門(1829~85)によって始められた製糸工場である。朝倉仁右衛門は明治9(1876)年ごろから自宅で座繰(ざぐり)製糸を始めていたが,明治10(1877)年に仲間を募って赤心組を結成した。その後,赤心組の主だったメンバーと長野県など製糸業先進地の視察に出かけ,座繰製糸から器械製糸への転換にむけ力を注いだ。
明治12(1879)年には群馬県の官営富岡製糸工場へ女子の伝習生13人を派遣し,同16(83)年には自ら視察して得た知識や派遣した工女の伝習技術を基にして上細谷村刈底(豊橋市細谷町)に細谷製糸株式会社を設立した。資本金は5000円で,豊橋地域における生糸製糸会社の第1号であった。社長は朝倉仁右衛門,支配人は前田伝次郎(1832~99)であった。最初は水車の動力を使っていたが,明治16(1883)年より蒸気機関に切り替え操業した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
細谷製糸は,朝倉仁右衛門(1829~85)によって始められた製糸工場である。朝倉仁右衛門は明治9(1876)年ごろから自宅で座繰(ざぐり)製糸を始めていたが,明治10(1877)年に仲間を募って赤心組を結成した。その後,赤心組の主だったメンバーと長野県など製糸業先進地の視察に出かけ,座繰製糸から器械製糸への転換にむけ力を注いだ。
明治12(1879)年には群馬県の官営富岡製糸工場へ女子の伝習生13人を派遣し,同16(83)年には自ら視察して得た知識や派遣した工女の伝習技術を基にして上細谷村刈底(豊橋市細谷町)に細谷製糸株式会社を設立した。資本金は5000円で,豊橋地域における生糸製糸会社の第1号であった。社長は朝倉仁右衛門,支配人は前田伝次郎(1832~99)であった。最初は水車の動力を使っていたが,明治16(1883)年より蒸気機関に切り替え操業した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!