だい15しだん
第15師団は日露戦争中,東京において編成され,満州の戦野に赴き,第2軍の戦闘序列に編入されたが,戦いが終わると千葉県習志野に帰還した。第15師団の地方移駐の議が起り,豊橋・浜松・岐阜が候補に上ったが,最終的に豊橋に設置されることになった。明治41(1908)年11月15日,高師原練兵場で,第15師団の新編成完結の閲兵分列式が行われた。第15師団の編制は次の通りであった。
第15師団司令部(高師村)
歩兵第17旅団司令部(豊橋)
歩兵第18聯隊(豊橋)
歩兵第60聯隊(高師村)
歩兵第29旅団司令部(静岡)
歩兵第34聯隊(静岡)
歩兵第67聯隊(浜松)
騎兵第19聯隊(高師村)
野砲兵第21聯隊(高師村)
工兵第15大隊(豊橋)
輜重(しちょう)兵第15大隊(高師村)
第15憲兵隊(高師村)
豊橋陸軍兵器支廠(ししょう)(高師村)
豊橋衛戍(えいじゅ)病院(磯辺村)
さらに,明治42(1909)年騎兵第4旅団(騎兵第25聯隊・第26聯隊)が設置され,昭和7(1932)年中国大陸に派遣されるまで豊橋に駐屯した。
軍用道路・練兵場・射撃場・上下水道等の軍事施設が設けられ,師団周辺に兵営前町が形成される一方,豊橋市上伝馬町・札木町の遊廓が東田(あずまだ)に移された。
第1次世界大戦には,浜松の歩兵第67聯隊および豊橋の工兵第15大隊が中国の青島(チンタオ)に赴き,ドイツ軍要塞の攻撃に加わった。大正12(1923)年9月1日関東大震災が起こると,歩兵第18聯隊の一部・衛生隊・輸送隊・憲兵隊からなる救援隊を派遣した。大正14(1925)年3月,いわゆる宇垣軍縮によって第15師団の廃止が決定され,同14(25)年4月19日,第15師団の解団式が八町練兵場で行われた。
廃止部隊は,歩兵第60聯隊・歩兵第67聯隊・騎兵第19聯隊・野砲兵第21聯隊・工兵第15大隊・輜重兵第15大隊であった。存続が決まった豊橋の歩兵第18聯隊と静岡の歩兵第34聯隊は第3師団に復帰し,新しい歩兵第29旅団(静岡)の隷下に入った。なお,工兵第3大隊が豊橋の工兵第15大隊跡に移駐してきた。この軍縮によって,師団数および将兵軍馬の数が削減されたが,第1次世界大戦後陸軍の急務であった兵器・装備(飛行機・戦車・高射砲・機関銃など)の近代化と充実が促進された。なお第2次世界大戦中,インパール作戦で苦闘した第15師団(祭)は,昭和13(1938)年7月,敦賀で編成された兵団である。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
第15師団は日露戦争中,東京において編成され,満州の戦野に赴き,第2軍の戦闘序列に編入されたが,戦いが終わると千葉県習志野に帰還した。第15師団の地方移駐の議が起り,豊橋・浜松・岐阜が候補に上ったが,最終的に豊橋に設置されることになった。明治41(1908)年11月15日,高師原練兵場で,第15師団の新編成完結の閲兵分列式が行われた。第15師団の編制は次の通りであった。
第15師団司令部(高師村)
歩兵第17旅団司令部(豊橋)
歩兵第18聯隊(豊橋)
歩兵第60聯隊(高師村)
歩兵第29旅団司令部(静岡)
歩兵第34聯隊(静岡)
歩兵第67聯隊(浜松)
騎兵第19聯隊(高師村)
野砲兵第21聯隊(高師村)
工兵第15大隊(豊橋)
輜重(しちょう)兵第15大隊(高師村)
第15憲兵隊(高師村)
豊橋陸軍兵器支廠(ししょう)(高師村)
豊橋衛戍(えいじゅ)病院(磯辺村)
さらに,明治42(1909)年騎兵第4旅団(騎兵第25聯隊・第26聯隊)が設置され,昭和7(1932)年中国大陸に派遣されるまで豊橋に駐屯した。
軍用道路・練兵場・射撃場・上下水道等の軍事施設が設けられ,師団周辺に兵営前町が形成される一方,豊橋市上伝馬町・札木町の遊廓が東田(あずまだ)に移された。
第1次世界大戦には,浜松の歩兵第67聯隊および豊橋の工兵第15大隊が中国の青島(チンタオ)に赴き,ドイツ軍要塞の攻撃に加わった。大正12(1923)年9月1日関東大震災が起こると,歩兵第18聯隊の一部・衛生隊・輸送隊・憲兵隊からなる救援隊を派遣した。大正14(1925)年3月,いわゆる宇垣軍縮によって第15師団の廃止が決定され,同14(25)年4月19日,第15師団の解団式が八町練兵場で行われた。
廃止部隊は,歩兵第60聯隊・歩兵第67聯隊・騎兵第19聯隊・野砲兵第21聯隊・工兵第15大隊・輜重兵第15大隊であった。存続が決まった豊橋の歩兵第18聯隊と静岡の歩兵第34聯隊は第3師団に復帰し,新しい歩兵第29旅団(静岡)の隷下に入った。なお,工兵第3大隊が豊橋の工兵第15大隊跡に移駐してきた。この軍縮によって,師団数および将兵軍馬の数が削減されたが,第1次世界大戦後陸軍の急務であった兵器・装備(飛行機・戦車・高射砲・機関銃など)の近代化と充実が促進された。なお第2次世界大戦中,インパール作戦で苦闘した第15師団(祭)は,昭和13(1938)年7月,敦賀で編成された兵団である。
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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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