りゅううんじ(ふなまち)
橋本山竜運寺(浄土宗)の創立は,天正6(1578)年であり,開山は方誉念西上人,本尊は阿弥陀如来像である。山号橋本山は寺が豊川(とよがわ)の大橋の傍らにあったことに由来する。
豊川(とよがわ)の大橋は幕府の重視した三大橋の一つで,天正18(1590)年より江戸期を通じての30数回の架け換えや修理には江戸より奉行一行が来て竜運寺に事務所が置かれた(「三州吉田船町史稿」)。享和3(1803)年4月,文化2(1805)年3月,伊能忠敬が渥美郡測量の時も竜運寺を宿舎としている。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田船町「浄土宗,橋本山竜運寺,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿五間半・五間,右寺内,観音堂,三間四方」とある。明治17(1884)年平僧地より法地に転格した。戦前には境内北部上段の地に観音堂,地蔵堂,行者堂などがあった。それぞれ当地方の霊場となっており,地蔵堂には女人安産に霊験ありという腹帯地蔵が祀られていた。昭和20(1945)年6月の空襲により境内建物一切を焼失する。昭和56(1981)年観音堂,平成4(1992)年本堂,同6(94)年庫裏(くり),翌7(95)年山門を再建した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
橋本山竜運寺(浄土宗)の創立は,天正6(1578)年であり,開山は方誉念西上人,本尊は阿弥陀如来像である。山号橋本山は寺が豊川(とよがわ)の大橋の傍らにあったことに由来する。
豊川(とよがわ)の大橋は幕府の重視した三大橋の一つで,天正18(1590)年より江戸期を通じての30数回の架け換えや修理には江戸より奉行一行が来て竜運寺に事務所が置かれた(「三州吉田船町史稿」)。享和3(1803)年4月,文化2(1805)年3月,伊能忠敬が渥美郡測量の時も竜運寺を宿舎としている。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田船町「浄土宗,橋本山竜運寺,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿五間半・五間,右寺内,観音堂,三間四方」とある。明治17(1884)年平僧地より法地に転格した。戦前には境内北部上段の地に観音堂,地蔵堂,行者堂などがあった。それぞれ当地方の霊場となっており,地蔵堂には女人安産に霊験ありという腹帯地蔵が祀られていた。昭和20(1945)年6月の空襲により境内建物一切を焼失する。昭和56(1981)年観音堂,平成4(1992)年本堂,同6(94)年庫裏(くり),翌7(95)年山門を再建した。
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