りゅうねんじ

 吉田山竜拈寺(曹洞宗)の創立は享禄元(1528)年,実質開山休屋宗官和尚が,福厳寺(小牧市)始祖盛禅洞しゃく和尚を開山とし,吉田(豊橋)城主牧野信成が亡父・古白の23回忌追善のために建てたとする説と,従来あった寺院跡に大永(1521~28)初年ごろ牧野信成が古白追善のために建てたとの両説がある。いずれにしても,牧野古白追善のために牧野信成が創建し,開山を休屋宗官とする点で両者は一致している。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田方「禅宗,吉田山竜拈寺,尾州大草村福厳寺末寺,東堂,客殿拾壱間半ニ七間,御朱印寺領弐拾五石目,塔中,悟慶院,盛涼院,日信院,長養院,〆四ヶ寺」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「吉田,寺領廿五石,禅宗曹洞派,開山洞しゃく和尚,本寺尾州春日井郡大草村福厳寺,吉田山竜拈寺」とある。本尊は十一面観音菩薩像である。江戸時代には「吉田三ヶ寺」の一寺に列し,末寺36,塔頭(たっちゅう)4院を擁し,朱印25石(興徳寺分20石と合わせて45石)を有した。明治維新後,羅漢堂(らかんどう)は小学立志学校(明治6年)の校舎となったり,日清戦争の捕虜収容所ともなった。

 明治20(1887)年に入山した第36世実山篤立和尚の精励により,昭和4(1929)年,専門僧堂を開設し,多くの修行僧を育成した。現在でも曹洞宗の東三河地方における中核寺院としての役割を担っている。豊橋仏教会経営の幼稚園を豊橋別院から竜拈寺境内に移転させ,昭和14(1939)年単独経営とし,豊橋幼稚園と称し,同29(54)年豊橋中央幼稚園と改称した。

 昭和20(1945)年6月の空襲により,山門を除いて仏像・伽藍(がらん)の一切を焼失した。昭和21(1946)年,仮本堂を建て,同40(65)年,鉄筋コンクリート造りの本堂を再建した。昭和55(1980)年1月16日「華陽夫人画像(けようふじんがぞう)」,同58(83)年3月15日「牧野古白母堂画像」,平成6(1994)年3月3日焼失を免れた「竜拈寺山門」が豊橋市有形文化財に指定された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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