くうしゅう
第2次世界大戦の末期,戦局が悪化するなかで,マリアナ基地から発進するアメリカ軍B29爆撃機によって,昭和19(1944)年11月24日から日本本土への本格的な空爆が始まった。
B29による戦略爆撃の第1期は,兵器工場に対する集中攻撃,第2期は大都市に対する無差別焼夷弾(しょういだん)攻撃,そして第3期は中小都市に対する連続焼夷弾攻撃であった。この第3期の最初の空襲は昭和20(1945)年6月18日の浜松,四日市,大牟田,鹿児島,第2回が静岡,福岡,豊橋であった。
豊橋方面には昭和20(1945)年1月9日に初空襲があって以来,7回にわたる小規模空襲があった。昭和20(1945)年6月19日,深夜に至り,B29が西方から豊橋上空に侵入,午後11時40分から翌日未明にかけて,照明弾に続いて焼夷弾を投下する大空襲となった(この空襲の始期については20日説もある)。豊橋市の南西部から一斉に火の手が上がり,豊橋は焦土と化した。
この時来襲したB29は144機,投下焼夷弾は945tといわれている。被害面積128万6155坪(市街地の90%),罹災(りさい)世帯1万7019世帯,罹災人口7万1502人(人口の50%),家屋の全焼1万6886戸(全戸数の70%),戦災死者624人,負傷者344人におよんだ。空襲後,間もなく赤痢(せきり)が蔓延(まんえん)し,367人が死亡した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
第2次世界大戦の末期,戦局が悪化するなかで,マリアナ基地から発進するアメリカ軍B29爆撃機によって,昭和19(1944)年11月24日から日本本土への本格的な空爆が始まった。
B29による戦略爆撃の第1期は,兵器工場に対する集中攻撃,第2期は大都市に対する無差別焼夷弾(しょういだん)攻撃,そして第3期は中小都市に対する連続焼夷弾攻撃であった。この第3期の最初の空襲は昭和20(1945)年6月18日の浜松,四日市,大牟田,鹿児島,第2回が静岡,福岡,豊橋であった。
豊橋方面には昭和20(1945)年1月9日に初空襲があって以来,7回にわたる小規模空襲があった。昭和20(1945)年6月19日,深夜に至り,B29が西方から豊橋上空に侵入,午後11時40分から翌日未明にかけて,照明弾に続いて焼夷弾を投下する大空襲となった(この空襲の始期については20日説もある)。豊橋市の南西部から一斉に火の手が上がり,豊橋は焦土と化した。
この時来襲したB29は144機,投下焼夷弾は945tといわれている。被害面積128万6155坪(市街地の90%),罹災(りさい)世帯1万7019世帯,罹災人口7万1502人(人口の50%),家屋の全焼1万6886戸(全戸数の70%),戦災死者624人,負傷者344人におよんだ。空襲後,間もなく赤痢(せきり)が蔓延(まんえん)し,367人が死亡した。
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豊橋市議の長坂です。
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苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
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