いなだ・ぶんりつ(1808~73)

 稲田文笠は,文化5(1808)年2月,渥美郡野田村(豊橋市野田町)に生まれた。幼名を佐吉郎といい,名を林広といった。文政11(1828)年,江戸におもむいて狩野探玄の学僕となる。文政13(1830)年谷文晁の内弟子になり,その画才により谷姓を許された。天保3(1832)年には奥州へ,同5(34)年には伊勢・伊賀・大和・畿内など全国各地を歴遊した。後に,天保8(1837)年同郷の渡辺兵九郎の娘と結婚し,翌9(38)年吉田(豊橋)呉服町に住んだ。安政元(1854)年に地震で破損した吉田城二の丸御殿の書院襖絵の修復を依頼された。その力量を認められて,苗字帯刀を許され,吉田藩絵師として登用された。豊橋市指定文化財「板地着色花鳥図絵馬」(野田素盞嗚神社蔵)は,稲田文笠筆である。明治6(1873)年8月26日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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