あきばさんじょうやとう
火防の神として秋葉山三尺坊(静岡県周智郡春野町)が人々から信仰を集めた。秋葉山常夜燈は江戸時代中ごろから数多く建てられるようになったが,市内では寛政年間(1789~1801)ごろから建て始められ,文化・文政と時代を経るごとにその数は増加した。このうち文化2(1805)年に吉田宿今新町(豊橋市西新町)の東海道と嵩山(すせ)宿へいたる本坂通(ほんざかどおり)の分岐点に建てられた秋葉山常夜燈は高さ約5mあり,市内では最大のものであった。竿(さお)の部分には「秋葉山常夜燈」,台座には「吉田中安全」の文字が彫られている。
新町の大燈籠は,明治24(1891)年の濃尾地震により倒壊したが復旧された。しかし,昭和19(1944)年の東南海地震による倒壊破損により放置されていたが,昭和55(1980)年に豊橋公園内の美術博物館北側に移築再建された。その後,平成13(2001)年には江戸時代に建っていた所とほぼ同じ位置(東八町交差点北東隅)に移転整備された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
火防の神として秋葉山三尺坊(静岡県周智郡春野町)が人々から信仰を集めた。秋葉山常夜燈は江戸時代中ごろから数多く建てられるようになったが,市内では寛政年間(1789~1801)ごろから建て始められ,文化・文政と時代を経るごとにその数は増加した。このうち文化2(1805)年に吉田宿今新町(豊橋市西新町)の東海道と嵩山(すせ)宿へいたる本坂通(ほんざかどおり)の分岐点に建てられた秋葉山常夜燈は高さ約5mあり,市内では最大のものであった。竿(さお)の部分には「秋葉山常夜燈」,台座には「吉田中安全」の文字が彫られている。
新町の大燈籠は,明治24(1891)年の濃尾地震により倒壊したが復旧された。しかし,昭和19(1944)年の東南海地震による倒壊破損により放置されていたが,昭和55(1980)年に豊橋公園内の美術博物館北側に移築再建された。その後,平成13(2001)年には江戸時代に建っていた所とほぼ同じ位置(東八町交差点北東隅)に移転整備された。
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