ふくしま・けんきち(1768頃~1836)

 福島献吉は,吉田(豊橋)藩士福島伝蔵思斎の子として生まれた。文政3(1820)年,吉田藩主松平信順(のぶより)に新田開発見込書を提出し,その許可を得た。養子留吉の実父柴田猪助善伸の協力を得,豊川(とよがわ)河口左岸に150町歩を開発することになり,牟呂沖新開惣奉行を申し付けられた。藩営新田ではあるが富士見新田開発費用は自らが調達して工事を開始した。しかし,資金が欠乏し,文政13(1830)年までに,東の場・中の場(塩田)・西の場ともに民間に売却された。弘化4(1847)年,中の場・東の場62町歩余は牟呂村が買収,明治新田として小作人280余人に分与された。天保7(1836)年3月13日,69歳で没した。

 参考文献 - 豊橋市立商業学校編「東三河産業功労者伝」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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