しょううんじ(おいつ)
呑江山祥雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,延応元(1239)年ごろとされる。当初真言宗であった。その後寛永年間(1624~1644)に太平寺中興雲竜和尚を勧請開山として再興,妙心寺派に改宗したと伝えられる。本尊は釈迦如来坐像であり,勢至堂(せいしどう)には地蔵菩薩像が祀られている。また宝暦10(1760)年記銘の涅槃像図(ねはんぞうず)が現存している。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,呑江山祥雲庵,右太平寺末寺,平僧,客殿六間・三間,寺領六斗目,右桂昌寺領之内」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「寺領五石訣,呑江山祥雲庵一石」とある。
第2次世界大戦末期の昭和19(1944)年,旧海軍航空隊燃料貯蔵用地下壕(2m×2mの素掘りのトンネル80m2本)を境内地下に構築した。第2次世界大戦後,そのため幾度かの陥没と建物の沈降をきたし,書院などの移築で対処してきたが,ついに昭和58(1983)年8月に大陥没。昭和63(1988)年よりセメント5000俵の打ち込み工事にかかり,平成元(1989)年に完工した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
呑江山祥雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,延応元(1239)年ごろとされる。当初真言宗であった。その後寛永年間(1624~1644)に太平寺中興雲竜和尚を勧請開山として再興,妙心寺派に改宗したと伝えられる。本尊は釈迦如来坐像であり,勢至堂(せいしどう)には地蔵菩薩像が祀られている。また宝暦10(1760)年記銘の涅槃像図(ねはんぞうず)が現存している。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,呑江山祥雲庵,右太平寺末寺,平僧,客殿六間・三間,寺領六斗目,右桂昌寺領之内」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「寺領五石訣,呑江山祥雲庵一石」とある。
第2次世界大戦末期の昭和19(1944)年,旧海軍航空隊燃料貯蔵用地下壕(2m×2mの素掘りのトンネル80m2本)を境内地下に構築した。第2次世界大戦後,そのため幾度かの陥没と建物の沈降をきたし,書院などの移築で対処してきたが,ついに昭和58(1983)年8月に大陥没。昭和63(1988)年よりセメント5000俵の打ち込み工事にかかり,平成元(1989)年に完工した。
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