かみの・さぶろう(1875~1961)

 神野三郎は,明治8(1875)年5月28日,西春日郡清州村(西春日井郡清州町)の竹田長蔵晨正の3男に生まれた。明治16(1883)年,竹田三郎は神野金平(1811~1905)の養子となり,明治21(1888)年,大谷派普通学校を卒業した。

 明治31(1898)年,竹田家に復籍したが,翌32(99)年,神野金之助の3女りきと婚姻・婿養子となる。この間,明治26(1893)年から神野新田工事に従事する。明治34(1901)年豊橋電燈監査役,同38(05)年神野富田殖産会社労務出資社員,翌39(06)年神野新田信用組合組合長に就任する。この間,明治38(1905)年神野金之助家より分家し,渥美郡牟呂村松島(豊橋市牟呂町)に居住する。明治42(1909)年豊橋瓦斯(ガス)常務取締役,翌43(10)年浜松瓦斯常務取締役に就任する。大正7(1918)年神富殖産を設立し取締役となり,翌8(19)年神野富田殖産を合併する。大正11(1922)年,浜松瓦斯社長となる。

 昭和5(1930)年から同11(36)年,豊橋商工会議所会頭に就任した。昭和7(1932)年明治銀行は取付け騒ぎを受け,神富殖産は明治銀行破綻(はたん)のため神野新田を提供することになった。昭和8(1933)年明治銀行は更正開業し,神野新田土地株式会社を設立して,専務取締役に就任した。昭和18(1943)年豊橋瓦斯と浜松瓦斯は合併して中部瓦斯を設立し,社長に就任したが,昭和21(1946)年,神野新田土地会社は自作農創設のため,648町9反2畝を神野新田農事実行組合に譲渡した。昭和22(1947)年豊橋乗合自動車社長に就任し,同24(49)年豊橋乗合自動車と豊橋電気軌道が合併して豊橋交通となり,社長に就任した。昭和34(1959)年,豊橋市名誉市民に推挙された。昭和36(1961)年4月30日,没した。

 参考文献 - 神野三郎翁伝記編纂委員会「神野三郎伝」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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