じんぐうじ
白雲山神宮寺(天台宗)は,吉田(豊橋)に長禅寺という禅宗寺院があったが荒廃していたので,慶長元(1596)年知多郡師崎(知多郡南知多町)の羽頭(はず)神社別当職神宮寺の初代重信法印が禅宗寺院長禅寺を再建して開山となり,神宮寺と称して天台宗に改めた。神宮寺の本尊は,雲谷(うのや)(豊橋市雲谷町)の普門寺から譲り受けた大日如来像である。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に吉田魚町裏「天台宗,白雲山神宮寺,東叡山寛永寺末寺,法印,客殿九間・七間半」とある。吉田藩主小笠原長矩は神宮寺を吉田3か寺の一つに列し,歴代城主は神宮寺を祈願所として除地36石余を寄進している。
「三河国二葉松」(元文5年)に「吉田紺屋町,除地三十一石六斗八升四合,天台宗,開山重信法師,本寺東叡山,院号寿命院,白雲山神宮寺」とある。昭和20(1945)年6月の空襲によって伽藍(がらん)すべてを焼失した。昭和40(1965)年本堂・庫裏(くり)が再興された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
白雲山神宮寺(天台宗)は,吉田(豊橋)に長禅寺という禅宗寺院があったが荒廃していたので,慶長元(1596)年知多郡師崎(知多郡南知多町)の羽頭(はず)神社別当職神宮寺の初代重信法印が禅宗寺院長禅寺を再建して開山となり,神宮寺と称して天台宗に改めた。神宮寺の本尊は,雲谷(うのや)(豊橋市雲谷町)の普門寺から譲り受けた大日如来像である。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に吉田魚町裏「天台宗,白雲山神宮寺,東叡山寛永寺末寺,法印,客殿九間・七間半」とある。吉田藩主小笠原長矩は神宮寺を吉田3か寺の一つに列し,歴代城主は神宮寺を祈願所として除地36石余を寄進している。
「三河国二葉松」(元文5年)に「吉田紺屋町,除地三十一石六斗八升四合,天台宗,開山重信法師,本寺東叡山,院号寿命院,白雲山神宮寺」とある。昭和20(1945)年6月の空襲によって伽藍(がらん)すべてを焼失した。昭和40(1965)年本堂・庫裏(くり)が再興された。
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