ぎおんまつり

 吉田神社の祇園祭は,天治元(1124)年,この地に疫病が流行したので,天王を勧請し,祇園会を行ったことが起源であるといわれる。吉田神社の祭礼は,旧暦6月13~15日(現在は新暦7月)に行われ,花火のほかに,今川義元が寄進したという神輿渡御(みこしとぎょ),笹踊,頼朝・乳母の行列があって,最後に饅頭(まんじゅう)配りがある。

 長坂理一郎は「昔はなし」で,各町の役割を「十三,十四の両日は各町とも煙火,十五日は御輿(みこし)の渡御で吉田神社から御輿は出御,本町横町の天王社御検所に入られ,それから吉田神社へ還御(かんぎょ)されました。各町の御供行列は札木は飾鉾(さかほこ),上伝馬は多田満仲(マンヂウクライなどと云う),関屋は頼朝公子供姿,八町は御乳母,萱(かや)町・指笠(さしかさ)町は笹踊,三浦町は稲穂,本町は十人の騎馬武者」といっている。

 吉田神社祭礼の奉納「手筒花火」は,幕末期は,将軍が亡くなった年のみ中止したが,毎年宵宮神事として継承されてきた。昭和20(1945)年6月の豊橋空襲の1か月後,一帯が焼け野原と化した中でも,兵士の「武運長久」を祈願して2本の手筒花火が神前に奉納された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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