いそべおうづかこふん

 磯辺王塚古墳は,三河湾沿岸の柳生川河口部に発達した砂の堆積地の付け根付近に位置している。羽田野敬雄(はだのたかお)が残した記録により,古くは幕末の弘化3(1846)年に付近の村人が発掘したことがうかがえる。その後,大正11(1922)年から平成9(1997)年までに4回の発掘調査が行われたが,宅地造成などにより主要部分は滅失した。本墳は直径20~25mの円墳と推定されているが,前方後円墳の可能性も否定できない。主体部は全長10.2m以上,幅最大2.1mの横穴式石室で,石室の床面には3基の棺台が置かれていた。複数回におよぶ発掘調査によって,石室内から優れた副葬品が出土している。特に4振の飾大刀(かざりたち)は,新旧の双龍環頭(そうりゅうかんとう)大刀,頭椎(かぶつち)大刀,銀象嵌装(ぎんぞうがんそう)円頭大刀で構成され,東海地方屈指の副葬点数である。また,華麗な装身具は,銀製空玉(うつろだま),トンボ玉,ガラス玉,水晶製切子玉(きりこだま)など,充実した内容である。以上から,本墳の被葬者は6世紀後葉に旧渥美郡域を統治した有力者と推定される。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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