いしぶねとこしかけいわ
大昔のこと,国造りの神々が船に乗って大津(豊橋市老津町)にやってきた。その時,乗り捨てられた木製の船が石船と化して海中に沈んでいるという。神々は伊勢の国からやってきたとも竜宮から来たとも伝えられ,船は嵐にあって沈んだとも伝えられている。船から下りた神々は,大津村の中北(豊橋市老津町中北)の七兵衛の屋敷で一休みした。神々が腰を下ろした石を「腰掛け岩」という。屋敷の近くにあった泉は,神々が手を洗ったので「御手洗の泉」と呼ばれた。神々はよく熟した桃の実を所望したが,「この村の桃の木は花は咲いても実がならない。」と嘘をいって断ったので,それ以来,桃の実がならなくなってしまったという。神々は七兵衛に案内させて村の三叉路まで来ると,そこで二手に別れ,一組は神戸(かんべ)(愛知県田原市神戸町)へ,もう一組は石巻山(豊橋市石巻町)に向かった。神々が別れた場所は「神別(かみわか)れ坂(ざか)」と呼ばれるようになった。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
大昔のこと,国造りの神々が船に乗って大津(豊橋市老津町)にやってきた。その時,乗り捨てられた木製の船が石船と化して海中に沈んでいるという。神々は伊勢の国からやってきたとも竜宮から来たとも伝えられ,船は嵐にあって沈んだとも伝えられている。船から下りた神々は,大津村の中北(豊橋市老津町中北)の七兵衛の屋敷で一休みした。神々が腰を下ろした石を「腰掛け岩」という。屋敷の近くにあった泉は,神々が手を洗ったので「御手洗の泉」と呼ばれた。神々はよく熟した桃の実を所望したが,「この村の桃の木は花は咲いても実がならない。」と嘘をいって断ったので,それ以来,桃の実がならなくなってしまったという。神々は七兵衛に案内させて村の三叉路まで来ると,そこで二手に別れ,一組は神戸(かんべ)(愛知県田原市神戸町)へ,もう一組は石巻山(豊橋市石巻町)に向かった。神々が別れた場所は「神別(かみわか)れ坂(ざか)」と呼ばれるようになった。
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