いしばいやま
石灰山は,豊橋市牛川町乗小路の牛川鉱山が石灰岩を採掘した山で,山肌が削り取られて白く見えていた。この石灰山は,文政年間(1820年代)に発見され,牛川村(豊橋市牛川町)出身の後藤庄五郎が豊川(とよがわ)べりに窯を築き,藩の事業として石灰焼を始めた。この製品は,純度が99%の良質なもので,廃藩とともに後藤家の所有となり,採掘が続けられた。石灰は,石垣用材・セメント・カーバイト・肥料などの用途があり,石巻山を中心として江戸時代から八名郡嵩山(すせ)村(豊橋市嵩山町)と牛川村(豊橋市牛川町)で生産されていた。牛川鉱山の石灰岩採石場からは,昭和32(1957)年と同34(59)年に人骨が発見され,東京大学人類学教室で更新世後期(10万年前)のものと鑑定された。女性の上腕骨および男性の左大腿骨頭と発表されて「牛川原人」と命名され,現存する化石人骨では国内最古のものといわれた。牛川鉱山は,昭和53(1978)年に閉山し,その跡地は宅地に造成された。その一画に「牛川原人史跡公園」が造られ,昭和53(1978)年「牛川原人の碑」が建てられた。
関連項目 - 牛川人
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
石灰山は,豊橋市牛川町乗小路の牛川鉱山が石灰岩を採掘した山で,山肌が削り取られて白く見えていた。この石灰山は,文政年間(1820年代)に発見され,牛川村(豊橋市牛川町)出身の後藤庄五郎が豊川(とよがわ)べりに窯を築き,藩の事業として石灰焼を始めた。この製品は,純度が99%の良質なもので,廃藩とともに後藤家の所有となり,採掘が続けられた。石灰は,石垣用材・セメント・カーバイト・肥料などの用途があり,石巻山を中心として江戸時代から八名郡嵩山(すせ)村(豊橋市嵩山町)と牛川村(豊橋市牛川町)で生産されていた。牛川鉱山の石灰岩採石場からは,昭和32(1957)年と同34(59)年に人骨が発見され,東京大学人類学教室で更新世後期(10万年前)のものと鑑定された。女性の上腕骨および男性の左大腿骨頭と発表されて「牛川原人」と命名され,現存する化石人骨では国内最古のものといわれた。牛川鉱山は,昭和53(1978)年に閉山し,その跡地は宅地に造成された。その一画に「牛川原人史跡公園」が造られ,昭和53(1978)年「牛川原人の碑」が建てられた。
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