しらい・てつぞう(1900~83)

 白井鉄造は,明治33(1900)年4月6日,静岡県周智郡犬居村(周智郡春野町)に生まれた。父親は豊橋市松山町の住人であった。本名虎太郎といい,小学校を卒業し,大正2(1913)年浜松市船越町にある会社に入社した。大正5(1916)年上京して,音楽舞踊演劇を岸田辰弥などに師事した。大正10(1921)年宝塚歌劇団に入社し,振付の教師となった。その後,天勝一座に加わり,作詞家の藤浦洸とともに1年ほど日本各地を巡った。

 昭和3(1928)年10月から演劇視察のため,外遊した。昭和5(1930)年に,公演のために帰朝,第1回作品パリゼットを上演した。日本レビューの常識を超えた斬新な演出で,観客を魅了し,宝塚歌劇の存在を高めた。宝塚歌劇で,嬉しいとき悲しいとき歌う歌「すみれの花咲く頃」の歌詞は,白井鉄造の詩である。昭和58(1983)年12月22日,没した。豊橋市大岩町の大岩寺墓地に葬られた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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