ちょうそんがっぺい
明治以後の市町村の歴史は合併の歴史である。明治11(1878)年12月20日郡区町村編制が行われ,戸長を置いた。明治11(1878)年12月28日町村分合を行った。明治9(1876)年2月14日愛知県令の通達は,一定の行政水準を維持するに足る費用負担と地租改正のため,飛び地の解消を目的としたものであった。明治11(1878)年の町村分合は大がかりで,豊橋市域の181か町村が75か町村に整理統合されている。その反動として明治17(1884)年には分村騒ぎが起こり,86か町村になっている。
明治22(1889)年10月1日,市制・町村制が施行され,同時に町村区域名称が変更された。「合併ニ係ル旧町村名ハ大字トシテ之ヲ存ス」とされた。豊橋町は,郡区町村編成の豊橋市街29町から6町を除いた23町で編成され,多数の村の合併も行われた。町村制の実施に当たり,強固な自治体を作るのに必要な300戸以下の小村は万止むを得ない場合のほかはこれを許さぬ方針で,各町村に向けて合村を勧誘した。
明治28(1895)年2月25日,豊橋町と豊橋村は合併して豊橋町となった。明治39(1906)年,愛知県では大々的な町村合併が行われた。愛知県の町村合併要領によれば,「新町村は凡戸数千,人口五千以上を以て標準とする事」とあった。明治39(1906)年7月16日,豊橋町34大字・花田村1大字・豊岡村6大字で豊橋町41大字となった。明治39(1906)年8月1日,豊橋町(面積19.69k㎡,人口3万7635人)は全国で62番目の市となった。
昭和7(1932)年9月1日,豊橋市は臨海部を含む広域合併を行った。豊橋市は,宝飯郡下地町,渥美郡高師(たかし)村・牟呂吉田村,八名(やな)郡下川村および八名郡石巻村大字多米(ため)の区域を編入して,面積113.76k㎡,人口14万2579人となった。昭和8(1933)年6月10日,豊橋市院之子町は宝飯郡豊川町に編入された。
昭和24(1949)年,シャープ税制調査団は,税制改革とともに「地方自治体の財政を確立するためには,合併を進め,地方自治体の規模を適正規模まで引き上げなければならない」と日本政府に勧告した。昭和28(1953)年「町村合併促進法」が公布され,「町村は,おおむね八千人以上の住民を有するものを標準とし」とあり,老津村・高豊村・杉山村・前芝村・三上村・双和村などがその対象となった。
昭和30(1955)年3月1日,宝飯郡前芝村,渥美郡二川町・高豊村・老津村,八名郡石巻村の区域を豊橋市に編入した。昭和30(1955)年4月1日,八名郡双和村大字賀茂,渥美郡杉山村大字杉山の区域を豊橋市に編入した。これによって豊橋市は面積253.38k㎡,人口20万2985人,戸数3万9481(昭和30年10月1日国勢調査)となった。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
明治以後の市町村の歴史は合併の歴史である。明治11(1878)年12月20日郡区町村編制が行われ,戸長を置いた。明治11(1878)年12月28日町村分合を行った。明治9(1876)年2月14日愛知県令の通達は,一定の行政水準を維持するに足る費用負担と地租改正のため,飛び地の解消を目的としたものであった。明治11(1878)年の町村分合は大がかりで,豊橋市域の181か町村が75か町村に整理統合されている。その反動として明治17(1884)年には分村騒ぎが起こり,86か町村になっている。
明治22(1889)年10月1日,市制・町村制が施行され,同時に町村区域名称が変更された。「合併ニ係ル旧町村名ハ大字トシテ之ヲ存ス」とされた。豊橋町は,郡区町村編成の豊橋市街29町から6町を除いた23町で編成され,多数の村の合併も行われた。町村制の実施に当たり,強固な自治体を作るのに必要な300戸以下の小村は万止むを得ない場合のほかはこれを許さぬ方針で,各町村に向けて合村を勧誘した。
明治28(1895)年2月25日,豊橋町と豊橋村は合併して豊橋町となった。明治39(1906)年,愛知県では大々的な町村合併が行われた。愛知県の町村合併要領によれば,「新町村は凡戸数千,人口五千以上を以て標準とする事」とあった。明治39(1906)年7月16日,豊橋町34大字・花田村1大字・豊岡村6大字で豊橋町41大字となった。明治39(1906)年8月1日,豊橋町(面積19.69k㎡,人口3万7635人)は全国で62番目の市となった。
昭和7(1932)年9月1日,豊橋市は臨海部を含む広域合併を行った。豊橋市は,宝飯郡下地町,渥美郡高師(たかし)村・牟呂吉田村,八名(やな)郡下川村および八名郡石巻村大字多米(ため)の区域を編入して,面積113.76k㎡,人口14万2579人となった。昭和8(1933)年6月10日,豊橋市院之子町は宝飯郡豊川町に編入された。
昭和24(1949)年,シャープ税制調査団は,税制改革とともに「地方自治体の財政を確立するためには,合併を進め,地方自治体の規模を適正規模まで引き上げなければならない」と日本政府に勧告した。昭和28(1953)年「町村合併促進法」が公布され,「町村は,おおむね八千人以上の住民を有するものを標準とし」とあり,老津村・高豊村・杉山村・前芝村・三上村・双和村などがその対象となった。
昭和30(1955)年3月1日,宝飯郡前芝村,渥美郡二川町・高豊村・老津村,八名郡石巻村の区域を豊橋市に編入した。昭和30(1955)年4月1日,八名郡双和村大字賀茂,渥美郡杉山村大字杉山の区域を豊橋市に編入した。これによって豊橋市は面積253.38k㎡,人口20万2985人,戸数3万9481(昭和30年10月1日国勢調査)となった。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
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では!