うしかわじん

 牛川人は,豊橋市牛川町乗小路にあった牛川鉱山で発見され,鈴木尚東京大学名誉教授によって命名された化石人骨のことである。

 昭和32(1957)年,発破作業後の牛川鉱山石灰岩壁(高さ30mほど)から長さ5m,幅2mのフィッシャー(裂け目)が出現し,そこから多数の化石骨が出土した。これら化石骨は,牛川鉱山の従業員田中伝から,牛川小学校教諭石川一美の手に渡り,石川一美の依頼で伊川津(渥美郡渥美町)貝塚を発掘中の東京大学人類学教室の鈴木尚教授がこれら化石骨の分類決定を行った。

 鈴木尚教授は,昭和32(1957)年9月と翌33(58)年7月の2回,東京大学の高井冬二教授と共同で,残存するフィッシャー内を大規模に発掘した。発掘調査では,人骨や石器などの遺物は出土しなかった。しかし,多数の獣骨化石が発見され,絶滅しているトガリネズミの一種なども確認した。

 一方,鈴木尚教授は発見された骨を「原人というべきものの左上腕骨」と断定し,昭和33(1958)年12月に,東京大学において発表し,牛川人と命名した。この牛川人の年代は,絶滅種から得た年代と化石人骨のフッ素含有量の測定結果から,更新世後期(約10万年前)のものと想定された。

 最初に発見された化石人骨は,牛川第一人骨と呼ばれた。左上腕骨の骨幹中央部の破片で,二つに折れていたが9.6㎝の長さであった。この上腕骨の特徴を見ると,前後の方向に著しく扁平で,三角筋粗面の発達が著しく弱く,長さも短い。この特徴を基に復元した上腕骨から鈴木尚教授は,牛川人は身長134.8㎝の女性であったと推測した。

 昭和34(1959)年に名古屋在住の考古学者紅村弘によって牛川鉱山から化石骨が採集された。これは鈴木尚教授によって人間の左大腿骨(だいたいこつ)片と同定,牛川第二人骨と名付けられた。この第二人骨は,骨盤に接する大腿骨頭で,半球状部分のみ残存し,その特徴から,身長142.2㎝の成人男性の骨と推定された。

 近年,牛川人のうち第一人骨についてはシカもしくはゾウの骨とする説が発表され,形質人類学者の間では人骨説に否定的な見解である。牛川人骨は東京大学綜合研究博物館が所蔵し,豊橋ではレプリカが展示されている。牛川鉱山は昭和53(1978)年閉山となり,同53(78)年「牛川原人之碑」が建てられた。

 関連項目 - 石灰山(豊橋市牛川町)

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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