かたはまじゅうさんり
片浜13里は,渥美半島の太平洋岸の直線的な海岸の長さが,伊良湖岬の日出(ひい)の石門から浜名湖の今切まで13里(約50㎞)あることから付けられた俗称である。
渥美半島は太平洋岸が高く,三河湾に向かってゆるやかに傾斜しており,太平洋岸の最も高い所は豊橋市西七根町の海食崖の約70mで,赤羽根海岸(田原市)では約20m,さらに西方では高度が低くなっている。海岸は風波による侵食が激しく,年々陸地は後退している。かつては高塚海岸に砂丘があり,サンドスキー場となっていたが,昭和34(1959)年の伊勢湾台風により砂丘は消滅した。しかし,太平洋に沿った砂浜は,アカウミガメの産卵場として注目されており,保護活動が行われている。また海岸は大きな波が打ち寄せるため,サーフィンの好適地となっており,レジャーで訪れる人も多い。昭和45(1970)年に高塚緑地(面積91ha)が豊橋市高塚町・伊古部町地内に開設され,伊古部の海岸に青少年教育施設の「豊橋市野外教育センター」(昭和45年)と「豊橋市少年自然の家」(昭和47年)が建設された。
渥美半島の表浜には海食崖が続くため漁港がなく,地引網が二川地区に10統,高豊地区に8統,六連(むつれ)地区に6統など合計約80統が分布していたが,現在は観光用に地引網が数統残っている程度である。しかし,昭和47(1972)年に,渥美郡赤羽根町(田原市赤羽根町)の池尻川の河口部に赤羽根港(第4種漁港)が完成し,外洋での操業を可能にし,また緊急時の避難港にもなっている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
片浜13里は,渥美半島の太平洋岸の直線的な海岸の長さが,伊良湖岬の日出(ひい)の石門から浜名湖の今切まで13里(約50㎞)あることから付けられた俗称である。
渥美半島は太平洋岸が高く,三河湾に向かってゆるやかに傾斜しており,太平洋岸の最も高い所は豊橋市西七根町の海食崖の約70mで,赤羽根海岸(田原市)では約20m,さらに西方では高度が低くなっている。海岸は風波による侵食が激しく,年々陸地は後退している。かつては高塚海岸に砂丘があり,サンドスキー場となっていたが,昭和34(1959)年の伊勢湾台風により砂丘は消滅した。しかし,太平洋に沿った砂浜は,アカウミガメの産卵場として注目されており,保護活動が行われている。また海岸は大きな波が打ち寄せるため,サーフィンの好適地となっており,レジャーで訪れる人も多い。昭和45(1970)年に高塚緑地(面積91ha)が豊橋市高塚町・伊古部町地内に開設され,伊古部の海岸に青少年教育施設の「豊橋市野外教育センター」(昭和45年)と「豊橋市少年自然の家」(昭和47年)が建設された。
渥美半島の表浜には海食崖が続くため漁港がなく,地引網が二川地区に10統,高豊地区に8統,六連(むつれ)地区に6統など合計約80統が分布していたが,現在は観光用に地引網が数統残っている程度である。しかし,昭和47(1972)年に,渥美郡赤羽根町(田原市赤羽根町)の池尻川の河口部に赤羽根港(第4種漁港)が完成し,外洋での操業を可能にし,また緊急時の避難港にもなっている。
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苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
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