みなもとの・よりとも(1147~99)

 源頼朝は,久安3(1147)年4月8日,尾張熱田(名古屋市)で,源義朝の3男として生まれた。3男ではあるが,母が熱田神宮司藤原季範女であるため,嫡子とされた。治承4(1180)年の挙兵以来,建久元(1190)年と同6(95)年の2回上洛している。「吾妻鑑」では,建久元(1190)年の上洛では,遠江(とおとうみ)橋本(浜名郡新居町)を経て,野間(知多郡美浜町)で父・源義朝の墓に詣で,熱田大宮司に立ち寄った。しかし,途中の経路ははっきりしない。第2回は,建久6(1195)年,東大寺落慶供養参列である。

 建久元(1190)年,叔父化積(けしゃく)上人のいる普門寺(豊橋市雲谷(うのや)町)に在宿,平家追討の武運長久を祈願したとある。また,鞍掛神社(豊橋市岩崎町)駒止の桜の伝説がある。文治2(1186)年には,石田次郎為久を吉田天王社(吉田神社)に代参させ,三河守護安達藤九郎盛長に社殿を造営させたという。建久10(1199)年1月13日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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