まんこうじ
通月山満光寺(曹洞宗)の創立は,大永5(1525)年機安明全和尚である。寺伝では明全和尚は,大永5(1525)年後柏原院から宸筆(しんぴつ)の「勅特賜大聖智鑑禅師」の号を賜り,本山に出世した。時の室町幕府12代将軍足利義晴から寺領5町8反歩の寄進があったといわれている。本尊は阿弥陀如来坐像,体内に鎌倉期伝定朝作の阿弥陀如来立像が納められている。
天文9(1540)年この地一帯を大津波が襲い,堂宇はことごとく流失する。慶長3(1598)年に至り,仙麟長膳和尚が入山して荒廃した満光寺を再興した。旧寺領が広大であったという理由で慶長6(1601)年寺領3石を得た。以来,長膳和尚を中興開山とする。長膳和尚は額田郡深溝村(額田郡幸田町)本光寺8世であり,この因縁によって本光寺の末寺となった。江戸時代には寺格が高く,年頭拝賀には三の丸乗輿(じょうよ)を許され,藩主鷹狩りの休息所とするなど地方禅院中の一巨刹(きょさつ)であったと伝えられている。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,下五井村「禅宗,通月山満光寺,西三川深溝村本光寺末寺,東堂,客殿九間半・七間半,御朱印寺領三石目」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「下五井村,寺領三石,禅宗曹洞派,開基明全和尚,本寺額田郡深溝村本光寺,通月山満光寺」とある。昭和58(1983)年「銅鐘」は,豊橋市有形文化財に指定された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
通月山満光寺(曹洞宗)の創立は,大永5(1525)年機安明全和尚である。寺伝では明全和尚は,大永5(1525)年後柏原院から宸筆(しんぴつ)の「勅特賜大聖智鑑禅師」の号を賜り,本山に出世した。時の室町幕府12代将軍足利義晴から寺領5町8反歩の寄進があったといわれている。本尊は阿弥陀如来坐像,体内に鎌倉期伝定朝作の阿弥陀如来立像が納められている。
天文9(1540)年この地一帯を大津波が襲い,堂宇はことごとく流失する。慶長3(1598)年に至り,仙麟長膳和尚が入山して荒廃した満光寺を再興した。旧寺領が広大であったという理由で慶長6(1601)年寺領3石を得た。以来,長膳和尚を中興開山とする。長膳和尚は額田郡深溝村(額田郡幸田町)本光寺8世であり,この因縁によって本光寺の末寺となった。江戸時代には寺格が高く,年頭拝賀には三の丸乗輿(じょうよ)を許され,藩主鷹狩りの休息所とするなど地方禅院中の一巨刹(きょさつ)であったと伝えられている。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,下五井村「禅宗,通月山満光寺,西三川深溝村本光寺末寺,東堂,客殿九間半・七間半,御朱印寺領三石目」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「下五井村,寺領三石,禅宗曹洞派,開基明全和尚,本寺額田郡深溝村本光寺,通月山満光寺」とある。昭和58(1983)年「銅鐘」は,豊橋市有形文化財に指定された。
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