こみなみ・せつあん(1796頃~1862)
湖南拙庵(初代)は,寛政8(1796)年ごろに生まれた。名を直,字(あざな)を愚郷,号を拙庵といい,本姓は宇井であるが,生地の下総国香取郡湖南(千葉県香取郡東庄町小南)をとって姓とした。諸国を歴遊し,長崎で医術修行の後,京都の有栖川(ありすがわ)宮家に仕えた。致仕後吉田(豊橋)へ来て,吉田曲尺手(かねんて)町(豊橋市曲尺手町)で開業した。文久2(1862)年1月29日,67歳で没した。
2代湖南拙庵(1841~1872)は,名武夫,字玄義,号鳳嶺。大田晴軒の門に入り,市井第一の博学といわれた。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
湖南拙庵(初代)は,寛政8(1796)年ごろに生まれた。名を直,字(あざな)を愚郷,号を拙庵といい,本姓は宇井であるが,生地の下総国香取郡湖南(千葉県香取郡東庄町小南)をとって姓とした。諸国を歴遊し,長崎で医術修行の後,京都の有栖川(ありすがわ)宮家に仕えた。致仕後吉田(豊橋)へ来て,吉田曲尺手(かねんて)町(豊橋市曲尺手町)で開業した。文久2(1862)年1月29日,67歳で没した。
2代湖南拙庵(1841~1872)は,名武夫,字玄義,号鳳嶺。大田晴軒の門に入り,市井第一の博学といわれた。
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