あつみじゅんこうせん

 吉田(豊橋)と田原(田原市田原町)を結ぶ海上交通は,江戸時代からあったが,明治6(1873)年より小型船ながら牟呂(豊橋市牟呂町)と田原を定期的な通船が行われるようになった。明治17(1884)年からは蒸気船が使われるようになり,同36(1903)年には,毎日320人ほどが利用するまでになった。

 こうした背景のもと,明治31(1898)年8月に渥美巡航船会社が,同31(98)年12月に三河巡航株式会社が設立された。両社は,明治36(1903)年12月に合併して渥美巡航株式会社が設立された。石油発動機船の就航により,多少の天候にも左右されずに所要時間は大幅に短縮されたため,最盛期には1日6~11往復もの往来記録も残っている。巡航汽船の定員は35人であったが,60人近い乗船で定員オーバーの運航も恒常化していた。

 大正6(1917)年10月9日に,第八巡航丸が老津(豊橋市老津町)の森崎沖で沈没し,死者22人を出す海難事故が起きた。渥美巡航株式会社は,これを機に解散したが,その後,会社は再建された。渥美電鉄の開通で乗客が減少し,大正13(1924)年に解散した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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