きよすしんでん
清須新田の地名は,開発者吉田(豊橋)札木町の中西与右衛門の出身地・尾張清洲に由来する。寛文3(1663)年,豊川(とよがわ)河口右岸に46町余の新田を開発した。清須新田の入植者は,中西与右衛門以下の14人と黒鍬38人であった。清須新田が開発されたことにより,上流の川崎村・下五井村が洪水の被害を受けるようになり,両村との間に水論となった。宝飯郡清須新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分480石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数56,人数271であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,清須新田「神明」とある。昭和7(1932)年,大字清須新田を豊橋市清須町とした。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
清須新田の地名は,開発者吉田(豊橋)札木町の中西与右衛門の出身地・尾張清洲に由来する。寛文3(1663)年,豊川(とよがわ)河口右岸に46町余の新田を開発した。清須新田の入植者は,中西与右衛門以下の14人と黒鍬38人であった。清須新田が開発されたことにより,上流の川崎村・下五井村が洪水の被害を受けるようになり,両村との間に水論となった。宝飯郡清須新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分480石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数56,人数271であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,清須新田「神明」とある。昭和7(1932)年,大字清須新田を豊橋市清須町とした。
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