せいそうじむしょ
昭和29(1954)年,汚物清掃法(明治33年)に代わって清掃法が制定された。豊橋市は特別清掃区を設定,ごみ処理を市の清掃事業とし,昭和30(1955)年,ごみ収集専用車2台を購入した。豊橋では昭和20年代までは,農家に還元していたが,昭和30年代に入り堆肥利用が減少し,消費の増加と人口増で廃棄物が急増した。豊橋市はごみ処理対策としてコンポスト施設(高速堆肥化処理装置)の建設を決定,基幹施設清掃センターを豊橋市飯村町高山に設置することを決めた。昭和35(1960)年,清掃事業を分離し,高山に清掃事務所を開設した。昭和39(1964)年,コンポスト施設が完成稼動した。昭和42(1967)年,ごみ増大に対処して焼却炉(三機式連続燃焼式機械炉)を建設した。昭和44(1969)年,清掃事業部発足。昭和46(1971)年,清掃区域を市内全域に拡大した。昭和47(1972)年,清掃事業部を清掃部に改称,埋立処理課を伊古部に設置した。昭和55(1980)年,豊橋市豊栄町西に都市農村環境結合計画(ユーレックス)の総合施設資源化センターが建設された。高山清掃事務所から施設課が移転(4月コンポスト施設廃止・5月焼却炉休止)し,清掃センターは車両基地となった。
関連項目 - 資源化センター(豊橋市豊栄町西) 環境センター
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
昭和29(1954)年,汚物清掃法(明治33年)に代わって清掃法が制定された。豊橋市は特別清掃区を設定,ごみ処理を市の清掃事業とし,昭和30(1955)年,ごみ収集専用車2台を購入した。豊橋では昭和20年代までは,農家に還元していたが,昭和30年代に入り堆肥利用が減少し,消費の増加と人口増で廃棄物が急増した。豊橋市はごみ処理対策としてコンポスト施設(高速堆肥化処理装置)の建設を決定,基幹施設清掃センターを豊橋市飯村町高山に設置することを決めた。昭和35(1960)年,清掃事業を分離し,高山に清掃事務所を開設した。昭和39(1964)年,コンポスト施設が完成稼動した。昭和42(1967)年,ごみ増大に対処して焼却炉(三機式連続燃焼式機械炉)を建設した。昭和44(1969)年,清掃事業部発足。昭和46(1971)年,清掃区域を市内全域に拡大した。昭和47(1972)年,清掃事業部を清掃部に改称,埋立処理課を伊古部に設置した。昭和55(1980)年,豊橋市豊栄町西に都市農村環境結合計画(ユーレックス)の総合施設資源化センターが建設された。高山清掃事務所から施設課が移転(4月コンポスト施設廃止・5月焼却炉休止)し,清掃センターは車両基地となった。
関連項目 - 資源化センター(豊橋市豊栄町西) 環境センター
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